熊野九十九王子(近露王子~小広王子)
近露王子
比曽原王子
継桜王子
野中の一方杉
秀衡桜
中ノ河王子
小広王子
近露王子
熊野詣の宿場として賑わった近露の里の中に鎮座して、産土神としても祀られていたという近露王子(ちかつゆおうじ)は、王子社の中でも最も早く現れた王子のひとつです。
近くを流れる日置川は近露王子におまいりする前に潔斎をした清流で、川岸には後鳥羽上皇の御所もあったといわれています。
比曽原王子
近露から約2kmほど本宮方面、旧国道の左手の草叢のなかに、比曽原王子の緑泥片岩の碑があります。
かつて境内に手枕の松と呼ばれる名木があり、王子社は明治末期まで160坪の常緑樹の悠然とした官山だったそうですが、今は面影はありません。
継桜王子
「秀衡桜」の伝承から「継桜王子」という名前がつけられました。若王子権現ともいわれ、野中地区の氏神にあたります。
境内には「一方杉」がそびえ、神秘的な空気が漂います。
野中の一方杉
継桜王子の境内の斜面に「一方杉」とよばれる10本ほどの巨木がそびえ、見る者を圧倒します。
那智山に向かって枝を伸ばしている姿から「一方杉」と名づけられ、古くから信仰の対象になってきました。明治末期の神社合祀の際に伐採の危機にさらされましたが、世界的な博物学者、南方熊楠によって守られました。
秀衡桜
奥州の豪族藤原秀衡が、桧の株に桜を継いだという伝承から、桜の木は「秀衡桜」といわれています。
藤原秀衡と秀衡桜の伝説
平安時代後期、奥州の豪族藤原秀衡は、子どもが授かるようにと熊野権現に祈願しました。ほどなく願いがかなって秀衡の妻は身ごもり、夫婦ともども東北の地からはるばる熊野権現にお礼参りへと旅立ちます。
やっとの思いで滝尻王子に到着すると、にわかに妻は産気づき、王子社の背後にある山中の岩屋に入って男子を出産しました。
夫婦は先を急いでいたので、我が子の無事を王子社に祈願しつつ、その子を岩屋に寝かせたまま熊野本宮大社に向かいます。
途中、秀衡は野中の里で桜の枝を桧の株に突き刺し、「参詣の帰途この枝に花が咲いていたら無事なり」と祈願して本宮に向かい、参拝を済ませてすぐ野中に戻ってみると、桜の木には花が咲いていきいきとしていました。
急いで滝尻の岩屋へとたどりつくと、赤ちゃんは岩からしたたり落ちる白い乳を飲み、狼に守られて育っていました。秀衡は熊野権現の霊験にさらに感激し、滝尻の境内に七堂伽藍を造営して経典や刀などの宝物を奉納したといわれます。
赤ちゃんが生まれた岩屋は「乳岩」、その近くの玉石が重なり合って出来たトンネルは「胎内くぐり」名づけられ、今も滝尻王子の裏手の古道沿いにあります。
中ノ河王子
旧国道から少し上がった林の中に、緑泥片岩の石碑がひっそりと立っています。
比較的早く設けられた王子で、中右記に「仲野川王子に参る」とあります。後鳥羽院御幸記では「中の河」となっており、修明門院御幸記には「中川」と出ています。緑泥片岩の石碑には「中川王子」とあります。
小広王子
小広峠の旧国道の道端に、上部の破損した緑泥片岩の小広王子碑が建てられています。
明治の道路改修以前は、もとの高い峠の上にあったものです。


