熊野九十九王子(小広王子~発心門王子)

小広王子

熊瀬川王子

岩神王子

湯川王子

猪鼻王子

発心門王子

小広王子

ouji_kobiro.jpg 小広峠の旧国道の道端に、上部の破損した緑泥片岩の小広王子碑が建てられています。
 明治の道路改修以前は、もとの高い峠の上にあったものです。

熊瀬川王子

ouji_kumasegawa.jpg 中世の熊野参詣記には、熊瀬川王子の名が見られません。そのため王子自体の存在が疑問視されており、一説には小広王子と熊瀬川王子を同一の王子であるとすることもあるようです。
 ただし、江戸時代の地名として「熊瀬川」の名があることから、その名をとった王子であるとも考えられます。

岩神王子

ouji_iwagami.jpg 岩神王子のある「岩神峠」は、中辺路の難所とされてきました。
 小広王子・熊瀬川王子から草鞋峠を越えて下るのが女坂、いったん谷川に下りて再び岩神峠に登るのが男坂、両方合わせて夫婦(めおと)坂と呼ぶようになり、これにちなんで谷川沿いにあった茶屋を仲人茶屋と称したといわれています。
 ところどころに石畳の残された男坂を登ると、小さな切通しの峠に岩神王子の石碑があります。

湯川王子

ouji_yukawa2.jpg 音無川の上流、桧林の中に王子跡があり、緑泥片岩の碑と小祠が見られます。
 湯川王子は九十九王子のうち比較的格式の高い准五体王子として、また道湯川の氏神として祀られてきました。
 明治末期には近野神社に合祀され、さらに国道311号線がかなり離れたところを通ったことで、道湯川は昭和30年代から無人になりました。現在は土地の出身者によって小社殿が建てられています。
 平治の乱でも活躍した湯川一族発祥の地といわれ、往事はかなり栄えたと思われる石垣などが残ります。

猪鼻王子

ouji_inohana.jpg 湯川王子から三越峠を超えて約4km、未舗装の林道を船玉神社を過ぎ、わき道を100mほど下ると音無川沿いに「猪鼻王子」と刻まれた緑泥片岩の石碑があります。
 再び林道に戻り、今度は登りのわき道を上っていくと発心門王子に至ります。

発心門王子

ouji_hossinmon.jpg 発心門王子は熊野九十九王子の中でも別格の五体王子のひとつに数えられていました。
 「発心門」とは、仏の道に帰依する心を発する入り口(門)という意味で、ここからが熊野本宮大社の神域とされていました。
 明治末期の神社合祀で三里神社に合祀となり、社殿も移築されました。現在の社殿は平成2年(1990)に復元されたものです。

walkm.gif小広王子~発心門王子のウォークガイド


Page Top