熊野九十九王子(みなべ~田辺市街地)

岩代王子

千里王子

三鍋王子

芳養王子

出立王子

岩代王子

ouji_iwashiro.jpg 岩代の地は万葉時代から大宮人に知られ、この地を通る人々が岩代の神に敬虔な祈りを捧げました。このようなことより、岩代王子は熊野九十九王子のなかでも、最も早くから知られた有名な王子といわれています。
 また、岩代王子社を参詣された歴代上皇貴神方には拝殿の板に参詣者の人数、氏名、和歌などを書きつけ熊野御幸の平安を祈られるならわしがありました。

千里王子

ouji_senri.jpg 桓武天皇の廷暦年問(782~806)に鎮座したと伝えられ、古代から中世にかけて花山法皇、後鳥羽上 皇など歴代上皇や責族が、近世では紀伊藩主や田辺領主をはじめとした多くの人々が当社に参詣されています。また、千里王子社に参詣するときは、浜で貝を 拾って社殿に供える風習があったことから貝の王子と称されています。

三鍋王子

ouji_minabe.jpg 建仁元年(1201)、後鳥羽上皇が当社 に参詣の砌りに、絹6疋・綿150両・馬3疋を奉納したほどの大社で、明治10年に須賀神社に合祀されるまで南部三社の一つと称せられていました。また、 当社の地下には弥生中期の遺跡であり、境内には鎌倉時代の板碑、小栗判官が水を飲んだという小栗井戸があり、約50メートル東方からは桃山時代の地鎮具が 出土しています。

芳養王子

ouji_haya.jpg 田辺市の入口ともいうべき芳養王子は、天仁二年(1109)10月、熊野参詣をした藤原宗 忠 の日記『中右記』に、「早(芳養)の海浜に出て河を越え、早王子に参った」とあり、また建仁元年(1201)10月の藤原定家の熊野御幸記に、「ハヤ王 子」と出てきます。現在芳養王子跡は、大神社となっています。

出立王子

ouji_dedati.jpg 熊野詣での際、田辺から海岸線に別れを告げ中辺路へ入る参拝者には、潮で身を清める最後の場所として、ここ出立は重要な拠点でした。身を清めるためにする潮浴びのことを潮垢離といい、ここ出立王子前方の潮垢離浜で行われました。
 建仁元年(1201)の御幸記では後鳥羽院に同行した藤原定家が不覚にも風邪をひき、出立での潮垢離を辞退したところ、厳しく叱責され、やむなく潮浴びをしたと伝えられています。
 また、 出立の地名は万葉集に「出立の松原」と詠まれ、平安末期の『中右記』には「田之陪(たのべ)に行き王子社に奉幣」と見え、田部(たなべ)王子ともいわれたりしました。
 王子社はもと元町西郷の御所谷附近にあったといわれていますが元の場所は不明で、現在はこの地に移されています。


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