熊野九十九王子(滝尻王子~近露王子)

滝尻王子

不寝王子

高原熊野神社

大門王子

十丈王子

大坂本王子

牛馬童子

近露王子

滝尻王子

ouji_takijiri.jpg 滝尻王子は富田川と石船川が合流する地点に鎮座します。かつてはこの王子社が熊野三山の霊域のはじまりとされていました。
 滝尻王子は、熊野九十九王子社のうち五体王子社にも数えられ、中世に熊野御幸が盛んであった頃には、皇族貴族により奉幣や読経の他、法楽のための里神楽や歌会が盛大に催されました。
 平安時代後期には藤原秀衡の寄進により四町歩(1万2千平方メートル)の境内に七堂伽藍が建立されていたといわれています。

不寝王子

ouji_nezu.jpg 滝尻王子の背後にそびえる剣山(371m)への急坂の途中、滝尻王子から約400m地点に不寝王子の石碑が建っています。
 ネズ王子の名称は中世の記録にはありません。元禄年間の「紀南郷導記」にネジ王子という小社の跡があると記されているだけで、その存在は不明確とされています。

高原熊野神社

takaharakumano.jpg 平安時代の熊野九十九王子社には数えられていませんが、熊野本宮大社から御神体が勧請された高原熊野神社の社殿は、中辺路で最も古い神社建築です。
 建仁元年(1201)の『熊野御幸記』には地名が記され、藤原定家が立ち寄った事がわかります。
 楠の大木を背後に控えた優雅な朱塗り檜皮葺、春日造の社殿は応永十年(1403)のもので、熊野古道沿いの神社では現存最古のものです。(県重要文化財にも指定)

 世界的博物学民俗学者の南方熊楠は、明治時代末期、神社合祀が行われる中、この鎮守の森や神社を守り残したことでも知られます。

大門王子

ouji_daimon.jpg かつてこの社地に鳥居があったことから大門の名がついたとされます。
 大門王子の名は古い参詣記などには見えず、設置の新しい王子である一方、江戸中期にはすでに社がなく緑泥片岩の碑が建てられました。
 社殿は平成元年(1989)の復元で、その背後には熊野三百町石のひとつと思われる笠塔婆と、紀州藩が享保8年(1723)に建立した緑泥片岩の王子跡石碑が並んでいます。

十丈王子

ouji_juujou.jpg 十丈峠の杉林のなかに王子跡があります。中世の参詣記には重點(じゅうてん)の地名および重點王子の社名で登場しています。
 江戸時代には付近に数戸の家があり、王子神社を氏神として祀っていたのですが、明治末期の神社合祀で廃社になりました。いまは十丈は無人の山中になっています。

大坂本王子

ouji_oosakamoto.jpg 逢坂峠の東側のふもと、谷川のそばに王子跡があります。いまは杉林のなかですが、社の跡とみられる石や大木の切り株が残されています。
 現在の王子跡には石造の笠塔婆がみられます。

牛馬童子

ouji_gyuba.jpg 牛と馬にまたがる僧服の石像は花山法皇の熊野詣の旅姿であるとも言われ、高さ50cmと小さくてかわいい石像です。今では中辺路のシンボル的存在となっています。明治時代に法皇の旅姿を偲んで彫られました。

 牛馬童子像の背後に、鎌倉時代の建立と推定される宝篋印塔(県指定文化財「近露の宝塔」)があります。これは花山法皇の熊野御幸のおり、経典をこの地に埋納したとの伝説にもとづいて立てられたものです。
 藤原氏の策略にあって出家とともに皇位を失い、呆然とした心境のまま都を離れ熊野御幸に旅立った花山法皇は、この峠で萓の茎を折って箸にして食事をとろうとしたところ、茎から露がしたたり落ちました。法皇は「これは血か、露か」と物哀しげに側近にたずねたといいます。
 そのため、麓の里は「近露(ちかつゆ)」、この峠は箸折峠と呼ばれるようになったといわれています。

近露王子

ouji_tikatuyu.jpg 熊野詣の宿場として賑わった近露の里の中に鎮座して、産土神としても祀られていたという近露王子(ちかつゆおうじ)は、王子社の中でも最も早く現れた王子のひとつです。
 近くを流れる日置川は近露王子におまいりする前に潔斎をした清流で、川岸には後鳥羽上皇の御所もあったといわれています。


walkm.gif滝尻王子~近露王子のウォークガイド


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