世界遺産
「熊野古道」
熊野九十九王子(田辺市街地〜稲葉根王子)
秋津王子
藤原定家の「熊野御幸記」に「秋津王子」の名が初めて登場します。
秋津にあったことは明らかですが、会津川の氾濫で数度にわたって移転され、元の場所は消滅して確定できません。柳原という所から笠松跡、安井へと移転し、明治以降は豊秋津神社に祀られています。同社所蔵の永正三年(1506)の棟札に柳原王子とあります。
(写真は安井宮跡の石碑)
万呂王子
藤原定家の熊野御幸記に、秋津王子に参ったあと「山を越えて丸王子にまいり」とありますが、現在、その山はまったく確認できません。その社地は小さい森になっていたそうですが、明治10年に須佐神社に合祀され、その後、田になってしまいました。
現在は熊野橋から50mほどの北の梅畑の畔に標柱があります。(梅林の中で分かりにくい場所にあります)
三栖王子
万呂王子跡から左会津川をわたり、報恩寺の山側の道をのぼると「三栖王子跡」の碑があります。ここからは見晴らしが良く、周辺を見渡すことが出来ます。社殿は水害で崩壊し、現在は残っていません。
御幸記にはミス山王子と記されていますが、すぐ側を流れる谷川に王子社が映って見えることから、江戸時代には主に影見王子と呼ばれていました。
三栖王子からは、現在の上富田町岡へ越して八上王子・稲葉根王子へと続くのですが、室町時代には、ここから上三栖を経て潮見峠を越える街道が開かれました。
現在は、潮見峠への途中にある「珠簾神社」に合祀されています。
八上王子
建仁元年(1201年)の『熊野御幸記』に「ヤカミ王子」とあり、古くから崇敬されていました。西行法師の私家集『山家集』に、
「待ち来つる 八上の桜 咲きにけり
荒くおろすな 三栖の山風」
とあり、八上王子の名が広く知られています。
王子は住民の信仰があつく、今は八上神社として産土社となり社叢も保護され、最もよく神社の形態が保たれています。明治末期に神社合祀の対象となったが、南方熊楠の神社合祀反対運動のおかげで合祀をまぬがれました。
<県指定史跡>
稲葉根王子
稲葉根王子は上富田町岩田王子谷の入口にあり、熊野九十九王子の中でも社格の高い准五体王子でした。
天仁2年(1109年)の「中右記」にもその名が見え、社歴も古く、格別に崇敬されていました。 この王子の神は熊野本地曼陀羅に稲を背負う翁の姿で描かれ、別名稲荷王子と呼ばれ、稲荷信仰に深い関係を持っています。
熊野街道中辺路の重要な水垢離場とされた岩田川(富田川)の渡渉地点に近く、この王子から川で水垢離を取り対岸の一ノ瀬王子へ渡ったと伝えられています。
江戸時代は産土神とされていたが、大正15年(1916年)、現在の岩田神社へ合祀されました。現在は再び分霊を遷し、稲葉根王子として再興されています。
