残響の熊野 牛尾武 素描展より 

伊作田稲荷

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伊作田稲荷神社

 稲成小学校の校歌は「盤城の山」で始まる。私は歌詞の内容がほとんど分からないまま、6年間歌っていた。
 30代半ばのころ、地 元について書かれた冊子を読んで盤城山が稲荷(いなり)神社のある山だと知った。その時の驚きは今も覚えている。なかなか興味深い名を持った山である。東 北地方に同じ名の有名な所がある。「盤城」には石で造ったとりでの意味のほかに古代の墳墓の意味があるそうだ。
 この山の上に有力な人物の墳墓が あったのだろうか。そこがあがめられ神社となっていったのだろうか。とにかく、たくさんの伝説があり、古い儀式の残っている神社である。境内はうっそうと したシイの木で覆われ、神殿のある空間は入って来る者を威圧する恐ろしい雰囲気に満ちている。まるで何かを守っているかのようである。
 今は稲荷神社と呼ばれているが昔は阿羅毘可(あらびか)大明神と呼ばれていた。名前の意味は分からないが、その音の響きはとても荒々しく、神社が放っている雰囲気とよく合っている。
 神社にはそれぞれに特徴的な雰囲気があり、優しい母性を感じさせてくれるものと厳しい父性を感じさせるものの2種類に分かれる気がする。この稲荷神社は強い父権的なにおいのする神社である。 
 1月7日の神社の大祭には3つの区から2頭ずつ計6頭の獅子が、神社の参道を厳しくもみ合いながら登って行く。そのさまはけんか祭の様相そのものである。その後、宮入し獅子舞が始まる。力と美の奉納、そこには太古の息吹を感じさせるものがある。
 祭りを通して青年たちは獅子、てんぐ、お多福の舞を習い、笛、太鼓のはやしを習う。若年者はこの中で先輩からもまれ、地元の仕来りや生き方、そして人生の基盤となるものを学んでいくのだろう。
 ここには、少し前の時代までは日本のあちらこちらにあった若衆宿の名残が温存されている。稲荷神社には大祭のほかに弓神事、粥(かゆ)占い、田植祭などの儀式が今も大切に守られている。
 盤城山のふもとから頂上の稲荷神社までの集落の景観は、まさに民俗学の見本のような形となっている。実際はこのような集落が民俗学の研究対象となったのだろう。皆さんも国道42号田辺バイパス辺りからこの素晴らしい景観をじっくり味わっていただきたい。
 熊野は癒やしの地と言われるが、ただそれだけではない。荒ぶる神々もおられる。この神々の厳しい洗礼を受けることも、熊野の奥へと入って行く者の避けることのできない試練なのだろう。
 阿羅毘可大明神は口熊野を守るべく、ぐっとにらみを利かせている。優しいお母ちゃんもよいが雷おやじもよいじゃないか。
 盤城山のすぐ下を上古には、熊野詣での人々が通り小さな峠を越して秋津へと抜けて行った。今日もほぼ同じ所をバイパスが抜け、高速道路が造られようとしている。昔の一級道が現代の一級道としてよみがえろうとしている。偶然なのか、必然なのか。
 「阿羅毘可大明神」は今もにらみを利かせ里を守り口熊野を守っている。
 そして、新しい熊野への道を行く旅人たちを見つめ続けてくれるのだろう。 

 (文 高山寺住職・曽我部大剛)


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