残響の熊野 牛尾武 素描展より 

河畔の町

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河畔の町

 私が小学生の時の遠足の定番といえば、天神崎であった。低学年のころの印象は転ぶと痛い、岩ばかりのだだっ広い海岸であった。しかし、学年が上がるにしたがって、なぜか好きな場所になった。
 中学生になって友達とよく遊びに出掛けた。天神崎の魅力に気が付き始めたのはそのころである。一畳程度の広さの潮だまりであっても、小さな魚やエビ、ウミウシ、貝、海藻などさまざまな種類の生物がたくさん生きている。天神崎ではごく普通の事なのだが、これこそが天神崎の魅力だと気付いたのだった。
 魅力に気付いてからは一人で行き、水中眼鏡を着けて潜り、飽きることなく海の中を眺めていた。
 生物の名前や生態に興味があったのではない。ただただ、多種多様な生物がわんさかいることに魅了されてしまった。海に潜り、海中の音を聞きながら波に身を委ねていると不思議な安心感に包まれ、そこにいる生物たちと同化していく感覚にひたることができた。
 それは今も変わることはない。
 高校を卒業して、都会で暮らすようになった。そこで思いもよらぬ難題にぶつかってしまった。繁華街だから当たり前のことだが、人であふれている。しばらくいると疲れきってしまうのだ。「田辺祭以外、雑踏を知らぬ田舎者やさかい、仕方ないか。」と考え、そのうち慣れるだろうと思っていた。しかし、数年たっても一向に改善されず、雑踏を避けるようになってしまった。原因は人という同種の生物が一か所にやたらめったらいるという違和感であった。
 働くようになり、雑踏を避けることができない状況になったが、ある時、人それぞれが違うことに気が付き、雑踏が突然面白いと感じるようになった。人もまた多様なのだと感動した。
 町並みについても面白いことを感じる。暮らしてみたいと思わせる町並みには、単に便利で快適で統一された美しさがあればよいのではなく、親しみや温かみを醸し出す何かが存在している。
 それぞれの地域の気候風土、歴史的な制約の中ではぐくまれた工法。そして、地域に合った材料で造られ、その結果として統一や調和を感じさせてくれる町並みは、便利や快適を超えた大切なものを秘めている。最初から統一性をもくろんだものと、結果として調和となったものにはおのずと差が出ている気がする。どちらが良いとか悪いとかというのではなく、好みの問題であろう。
 今回描かれている川辺の家並みは、一軒一軒見ると外観や色も違い個性がある。しかし、家並み全体で見ると、さまざまな色の材料を幾層にも重ねて作った和菓子を上から真っ二つに切った断面のような柔らかい美しさと調和がにじみ出ている。
 この作品は「熊野」いや「存在するものすべて」についての核心をわれわれに語り掛けてくる。
 ある古い教えの中に次のような言葉がある。
 「この世は多様である。それを受け入れなさい」「多様である一つ一つは清浄である」「それらはすべて互いに影響し合い支え合っている」
 これらを総称して『不可思議』という。

(文 高山寺住職・曽我部大剛)


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