残響の熊野 牛尾武 素描展より 

新地

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町の写真館

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新地・町の写真館

口熊野が江戸時代以降、物資の集散地として繁栄できたのは、穏やかで海産物の豊かな田辺湾があり、その湾内に安全な港を持つことができたという、地理上の幸運が大きな理由の一つであると思われる。
 口熊野への交通手段は明治以降、短期間のうちに変化し続けてきた。汽船から鉄道、そして自動車の時代へと変化した。人の流れも、主要交通手段が変わるたびに変化している。船着き場から駅へ、そして新しく造られた道の周辺部へと。それに伴い、町や街も生き物のごとく移動している。
「田辺新地」は船着き場に近く、官公庁が集まっている近所に大正の中頃つくられた。約半世紀にわたりにぎわい、1970(昭和45)年ごろより徐々に灯が消え始めた。この場所でどれだけの人々がうたげを楽しみ、さまざまなドラマが繰り広げられたのだろう。いまなお新地には、うたげの後の空気が静かに息づいている。
 この世に生まれたすべてのものは、やがて消えてゆく。永遠のものはない。われわれは心の奥底でその事を常に感じている。だからこそ自分の生きた証しを残したい。晴れの姿を残しておきたいと願うのだ。
 新地近くにあるこの写真館に、どれだけたくさんの人々が足を運んだのだろう。
 南方熊楠の生涯最高の晴れ姿である、松枝夫人と並んで写された「御進講の後の記念写真」もここで撮影された。

(文 高山寺住職・曽我部大剛)


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