残響の熊野 牛尾武 素描展より 

神島より(日本画 10号)

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神島

私は山登りの好きな子供だった。
高山寺の裏山が道路に寸断されるまでは、頂上に上ると、はるかに田辺湾を一望することができた。湾の下手には、こんもりと茂る森が浮いている。
「不思議なものが浮いてるなあ」
森は今よりも深く、濃く見えた。
子供心にも気になる存在が「神島」であり、南方熊楠と関係がありそうだと知ったのは、小学生になってからのことだった。『私たちの田辺』という本が配布され、地元について学ぶ時間があった。その頃、南方熊楠の扱いはまだ小さく、奇人変人の類と見なされていた。「変わったおいやん」は、こうして私の中に住みついた。
私の記憶の中にある神島は、北側から見たものだ。
大人になり、初めて鳥ノ巣から神島を見たとき、私はそこに神々しいものが御(お)座(わ)すことを感じた。これは並大抵の場所ではないと。

鳥ノ巣は「旧新庄村発祥の地」といわれている。
鳥ノ巣の人々にとって神島は、波や風を防いでくれる父であり、豊かな海の幸を与えてくれる母であった。人々は神島を崇拝し、この島にあるものを持って帰ってはならないとした。それは神域を汚すことになるからだ。神島は対岸の人々に愛され、遥拝される対象になった。それは住民の心のよりどころになり、地縁の絆になることを意味していた。

鳥ノ巣という地名は、いかにも豊かな生態系を連想させる。
海鳥が密集して生活するためには、その胃袋を満たすだけの小魚が必要になる。
小魚の群れは海鳥だけではなく、大型魚の胃袋も満たし、その食物連鎖は上位捕食者の栄養源となって、最終的に人間の生活を支える基盤になる。
あらゆる生命の揺りかごになる海は、穏やかな暗礁、豊富な植物プランクトン、窒素リン酸カリを運ぶ川、土砂の流出を食いとめる深い森など、さまざまな条件が一致したときに初めてもたらされるものだ。どれがひとつ欠けても成立できない。

この世の一切は、網のごとく繋がり、響きあっている。
これは生態学ではなく、古い仏教にある教えだ。
「一(いっ)即(そく)一切(いっさい)、一切(いっさい)即一(そくいち)」という。
この世に存在するものに、独立したものは何ひとつなく、存在物は互いに依存し、互いに影響しあっている。それは世界を結ぶ網の目のように無限に広がる空間、そして現在・過去・未来まで様々に錯綜している。部分がふるえれば全体がふるえ、全体が波打つときには部分も波打つ。この網は『羅網(らもう)』と呼ばれ、天上界にある帝釈天の宮殿に飾られていることになっている。
南方熊楠は、この「羅網」の結び目のことを、みずからの造語で「萃点(すいてん)」と名づけた。「萃」にはあつまりの意味がある。個と全体の区別がなく、要素と要素が互いの存在理由となる結節点が世界全体をおおいつくすイメージだ。

南方熊楠の目に、神島は地上の萃点として映ったのではないだろうか。
であればこそ、南方はすべてを投げ打って神社合祀を阻止しようとした。
自分の研究対象を守るというような、小さな動機ではなかったはずだ。
南方にとって、萃点の死は、世界全体の死を意味するものだった。
南方を激しい行動に駆り立てた力は、科学的な知見と、宗教的な直感の交わる場所から生まれたものにちがいない。南方の思考は、目に見える世界と目に見えない世界を行き来する。このとき萃点は、空間と時間とさらに上位の次元の結節点になる。私たちの行動は、私たちに知覚できない世界に影響を与えることを、南方熊楠は知っていた。かれの一生は、人類の課題を先取りするものだった。私たちの行く手にあるものを、南方は生身の現実として引き受けることができた。

今回、牛尾武さんが描いた『神島より』は、南方熊楠が見た風景に重なるものだ。
そこには波の音があり、風のそよぎがあり、潮の香りがある。
温度や湿度など、描かれたものを通して描きようのないものが見えてくる。
この絵の前に立つと、私は南方熊楠の存在を身近に感じる。
そして心の中でそっとつぶやく。
あなたが残してくれたものを、無傷で未来に手渡したいと。

(文 高山寺住職・曽我部大剛)

 


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