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熊野三山

 

熊野三山

熊野本宮大社

  • 大斎原

熊野速玉大社

  • 神倉神社

熊野那智大社

  • 青岸渡寺
  • 補陀落山寺

熊野三山 

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「熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)」、「熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)」、「熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)」の3社を「熊野三山(くまのさんざん)」と呼びます。
熊野三山は、和歌山県の南東部にそれぞれ20~40㎞の距離を隔てて位置しており、「熊野古道(熊野参詣道)中辺路」によって、お互いに結ばれています。

3社は個別の自然崇拝に起源を持ちますが、3社の主祭神を相互に勧請し「熊野三所権現」として信仰されるようになりました。

また、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」としては、神仏習合の過程で熊野那智大社と密接な関係を持つようになった寺院「青岸渡寺(せいがんとじ)」及び「補陀洛山寺(ふだらくさんじ)」の2寺も熊野那智大社とともに登録されています。青岸渡寺は西国巡礼の第一番札所として、補陀洛山寺は補陀落渡海信仰で知られた寺院です。

熊野本宮大社

kumanohongutaisya.jpg全国の熊野神社の総本山にあたる熊野三山(本宮、新宮、那智)の中でもとりわけ古式床しい雰囲気を漂わせるのが、聖地熊野本宮大社。
 門をくぐって、向かって左手の社殿が牟須美(むすみ)・速玉(はやたま)の両神。中央は主神の家津美御子神(けつみみこのかみ)。そして右手は天照大神(あまてらすおおみかみ)が祀られています。
 かつては、熊野川・音無川・岩田川の合流点にある「大斎原(おおゆのはら)」と呼ばれる中洲にあったのですが、明治22年の洪水で多くが流出し、流出を免れた社を移築したものです。
 はるか千年続く詣での願いが、今にも聞こえてきそうです。

大斎原(おおゆのはら)

ooyunohara.jpg 大斎原は、熊野本宮大社が明治22年の大水害で流される前の旧社地です。大斎原は、熊野川・音無川・岩田川の3つの川が合流する中洲にありましたが(現在は川の形が変わり、明確に中州の形はみてとれない)、 明治22年(1889年)8月に大水害がおこり、大斎原の熊野本宮大社は多くの社殿が流されました。現在の熊野本宮大社は、流失を免れた上四社3棟を明治24年(1891)に現在地に移築・再建したものです。大斎原には、流失した中四社・下四社をまつる石造の小祠が建てられています。
 大斎原の大社は、およそ1万1千坪の境内に五棟十二社の社殿、楼門、神楽殿や能舞台など、現在の数倍の規模だったそうです。

hongu_oyunohara.jpg背後の森を守るかのように、高さ35m幅約42m、日本一の巨大鳥居がそびえたっています。はるか遠くからですら確認できるこの鳥居の後ろ、こんもりとした森に囲まれた地帯が旧社地・大斎原です。

この大斎原は本宮大社前のバス停(現在の熊野本宮大社)から500mほど離れています。

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熊野速玉大社

hayatamataisya.jpg 熊野川河口に鎮座し、境内には神木とされる天然記念物の「ナギの木」の大樹があります。現在の社殿は明治16年9月に炎上し、その後再建されたものですが、世界遺産には神社境内を中心に背後の「権現山(神倉山)」と熊野川に浮かぶ「御船島」及び「御旅所」を含んで指定されています。
 神倉山の南端の神倉神社に祀られていた神を現在の社地に移し、それ以来、神倉山の元宮に対し、ここを新宮と呼んだといわれています。
 大社敷地内にある神宝館(しんぽうかん)には、1200点にものぼる国宝が保管展示されています。

神倉神社

 神倉神社は市街地の西、権現山(神倉山)の南端に鎮座します。「ゴトビキ岩」を御神体(ごしんたい)とし、高倉下命(たかくらじのみこと)・天照大神(あまてらあすおおみかみ)を祭神としています。熊野の神が降臨した地とされ、絶壁の上の巨岩「ゴトビキ岩」に、古代の人々は神がやどると信じていました。

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熊野那智大社

nachitaisya.jpg 那智山の中腹に鎮座し、那智大滝(那智の滝)に対する原始の自然崇拝を起源とする神社。
 熊野三山の一つとして熊野十二所権現を祀るが、当社では那智大滝を神格化した「飛瀧権現」を加え十三所権現とも呼ばれています。
 社殿は熊野本宮大社や熊野速玉大社のように横一列に並ばず、三所権現をはじめとする主要五社殿と八社殿及び御県彦社が矩折して配置されています。

青岸渡寺

nachiseigantoji.jpg世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」としては、神仏習合の過程で熊野那智大社と密接な関係を持つようになった寺院「青岸渡寺」及び「補陀洛山寺」の2寺も熊野那智大社とともに登録されています。

 

青岸渡寺は西国巡礼の第一番札所として、

 

補陀洛山寺は補陀落渡海信仰で知られた寺院です。

補陀落山寺

那智勝浦で行われる補陀落渡海の出発地であり、一大拠点となった寺。補陀落渡海とは、観音様の信者等が小さな屋形船に乗り、補陀落(観音様のおいでになる浄土)をめざして渡海するという習わしでした。実際には航海のための十分な食料や水も持たずに、小さな船で荒れる勝浦の海へと船出をしており、餓死や沈没などの最後を迎えたであろうことから、捨身行の一種であったとされています。実際に868年~1722年の間で25人の信者が補陀落を目指し船出していったと伝えられています。

現在は熊野那智大社とともに世界遺産に登録されています。


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